50年後の新聞は?
2004年10月22日毎日新聞掲載
文:立川志の輔

 この10月は古紙リサイクル週間と新聞週間だそうです。

 紙面一面に印刷された木の年輪を御覧になって気付いた方も多いのでは。

 今年初めて新聞全国大会というのに参加しました。開催地はわが故郷、富山県でした。

 そこで「ランチョン・スピーチ」を依頼されたのです。

 なにげにかっこよさそうなネーミングですが、私なりに都合よく訳せば「腹ごなし面白雑談」ってとこかなと思ってました。

 軽いトークを、と軽〜く考えて会場に入り、壇上を見ればそこに居並ぶ面々の肩書のすごいこと。そして目の前には、全国の新聞社のお偉方500人以上。

 富山県知事を初めとして、来賓である新聞社経営陣が、私の左右に横一列にずらりと並び、お客さんに向かう形。

 真横に厳粛な視線を感じつつ、今まで経験したことのない緊張と快感でトーク。

 新聞からはいつも落語的なネタを頂戴していること、富山県の自慢話などなどをおしゃべりしましたが、常日ごろからニュースという題材を追っかけ今に生きる新聞社にかかわっている方々だからでしょう、笑いの感度のいいこと。

 結居、気がつくと予定より30分長くしゃべっていました。

 十分笑ってもらって腹ごなしにはなったようで、ほっと胸をなでおろした一瞬でした。

 その日の北日本新聞に「50年後に紙の新聞はあるか ネットde どっち?」というコラム記事が掲載されていました。

 インターネットで富山県内の中高生から意見を募ったもので、ある派とない派がほぽ半分。

 ある派は、何度でも好きなときに読み返せる、新聞を広げたときのあのバサッという書が好き、パソコンにはないあたたかみ、と意見を寄せ、ない派は、パソコンや携帯電話は今より低価格で軽量になり皆が手軽に端末を持つようになる、データ化された記事を読み上げてくれる機械が出てくる、という意見を寄せています。

 さて私はと言えば、まずはなくならないだろうと思っています。

 理由としては、新聞の持ち運びの簡便さ、そして、新聞を広げページをめくるというアナログな行為の良さです。

 確かに若い人の中にはパソコンによるニュース配信で十分だという人もいるでしょうが、そうなると逆に、電車の中で小さく折りたたんだ新聞を読むのが素敵なことに見えてくるのでは。レコードプレーヤーの針をレコードに下ろす行為にも似て。

 50年後、一番ぜい沢なのは誰か、と言えば、新聞を毎日自宅まで配達してもらっている人になるのでは?

 もっとも、そのころ、たぶん私は生きてはいないわけですが。


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